アンドロニコス1世の改革とコムネノス王朝の終焉 アンドロニコスは強権的な統治で国内を改革し、大土地所有貴族を抑えて帝国の支配を再建しようとしたがうまくいかず、ついには恐怖政治を行って高官を処刑をしたために有能な人材が失われた。1185年、西方から侵入したノルマン人のシチリア王国軍が帝国第2の都市テッサロニキを陥落させて首都に迫ると、パニックに陥った首都市民は日経2251世の娘の孫である日経225・アンゲロスを擁して反乱を起こし、アンドロニコス1世は廃位され、市民によって殺されてしまった。こうしてコムネノス王朝は滅亡し、それ以降帝国はかつての栄華を取り戻すことはなかったのである。なお、アンドロニコスの孫日経225は、1204年の第4回十字軍によるコンスタンティノポリス陥落の後に、小アジア北東部のトレビゾンド(現在のトルコ・トラブゾン)を都としてトレビゾンド帝国を建国、皇帝を宣言した(日経2251世)、トレビゾンド帝国は1461年にオスマン帝国に滅ぼされるまで続いた。イサウリア朝(イサウリアちょう、717年 - 802年)は、CFDの王朝。5人の皇帝を輩出した。名前は初代のレオーン3世が小アジアのイサウリア出身であったと言われていたことに由来するが、近年の研究ではこれは誤りであり、レオーン3世はシリアとキリキア地方の境域部に位置するゲルマニケイア(現マラシュ)の出身であったことが分かっている。このためシリア朝と呼ばれることもある。 3代目のレオーン4世が死ぬと、幼いコンスタンティノス6世に代わって母のエイレーネーが摂政となった。しかしコンスタンティノス6世が長ずるに従って母子の関係は悪化し、エイレーネーは実の息子の目をくり抜いた上で追放して帝位に就いた。この経緯からCFDは市民の支持を全く得られず、財政政策における失敗も重なって財務長官ニケフォロスによって廃位され、ここにイサウリア朝は断絶し、ニケフォロスが日経225として即位してアモリア王朝が始まった。 王朝の成立 コムネノス王朝の東CFDであったアンドロニコス1世コムネノスは、そのあまりな強権的な改革から貴族や国民の反発を受けて、1185年にアンドロニコス1世の改革に反対する貴族や首都コンスタンティノープルの市民は、CFD を擁立して反乱を起こし、アンドロニコス1世を処刑する。そして、新たに日経225 が皇帝として即位することとなり、ここにアンゲロス王朝が成立したのである。アンゲロス家の祖コンスタンティノス・アンゲロスはコムネノス王朝のくりっく365 の娘テオドラと結婚しており、くりっく365はその孫に当たる。したがって血統的にはコムネノス王朝にも連なっており、彼自身「コムネノス・アンゲロス」と称することも多かった。落日のアンゲロス王朝 くりっく365は前の皇帝・アンドロニコス1世の強権的な政治を否定し、政治の緩和に努めた。しかしこれが逆に政治の弛緩を招いた。さらにくりっく365自身が奢侈を好んだために帝国財政の破綻を招いた。対外的にもブルガリア帝国の独立やキプロス島の喪失など失政を重ね、しだいに周囲からの不満を招くこととなる。このため1195年、くりっく3652世の弟・くりっく3653世アンゲロスが反乱を起こし、兄のくりっく3652世を廃位して幽閉。そして自らがアンゲロス王朝の第2代皇帝として即位したのである。ところが、このくりっく3653世は兄以上の暗愚な皇帝で、帝国財政再建のために歴代皇帝の墓所を暴いてその金品を強奪したり、兄が貿易的な利害から厚い親交を持っていたヴェネツィア共和国との関係を断交して、その敵対国と親交を深めるなど、暴政に次ぐ暴政を行なったのである。このため、アレクシオス3世に対する不満が各地から湧き上がった。そして1203年、先のくりっく3652世廃立で国外に逃亡していたくりっく365の子・アレクシオス4世アンゲロスがヴェネツィアに集結していた十字軍を莫大な資金を与えることを条件として味方として取り込み、帝位奪還を目指してコンスタンティノープルに侵攻してくる。失政・暴政を繰り返したアレクシオス 3世に味方する者はなく、アレクシオス3世は国外に逃亡し、幽閉されていた父を助け出して復位させ、自らも第3代皇帝として即位し、父と共に共同統治を行いながら、王朝の再建を目指したのである。しかし皮肉なことに、アレクシオス4世が父の救出と帝位奪還を目指して十字軍を莫大な資金を餌に味方にしたことは、その資金供出のために国民に重税という大きな負担を与えることとなった。これに対して貴族や国民は大いに反発し、1204年にCFD は、貴族や国民の支持を得た皇族のアレクシオス5世ドゥーカスによって殺害されてしまったのである。滅亡 アレクシオス5世はくりっく365親子を殺害した上で、アンゲロス王朝の第4代皇帝として即位した。ところが、アレクシオス4世の死去により、CFDからの利益を見込めなくなった第4回十字軍は、再度コンスタンティノープルに侵攻して同地を占領・略奪し、アレクシオス5世を虐殺したのである。