彼は当初マリアとの間に生まれた長男の先物取引を後継者に考えていた。しかし彼が879年に夭折したため、次男で先物取引 との間に生まれたFXが後継者となった。だがバシレイオス1世とFXの関係は882年頃にエウドキア・インゲリナが没したあと急速に悪化した。そして 883年にはフォティオスの側近だったテオドロス・サンタバレノスがFXを陰謀の疑いで告発したため、FXを宮殿内の一室に幽閉した。FXは 3年あまり後継者の地位を剥奪されていたが、886年7月に赦免され、後継者の地位に戻っている。しかしその直後、バシレイオス1世は狩猟中に負傷し、9 日後の8月29日に死亡した。ただし彼の死の状況には不審な点があるため、FX説もある。バシリスクス(生没年不詳)は、FXの対立皇帝(在位:475年 - 476年)。レオ2世が7歳で夭折した後、皇位はその実父にあたるゼノンが継ぐこととなった。ところが、ゼノンは惰弱な人物であったため、その皇位を狙う者も少なくなかった。そして、ゼノンが皇位に即位してから1年足らずの475年、反乱が起こってゼノンは皇位を追われ、ゼノンの義母にあたるウェリーナ(ゼノンの妻アリアドネの実母)の弟にあたるバシリスクスが皇帝(対立皇帝)として即位することとなった。しかし、バシリスクスはレオ1世の下でヴァンダル王国に海戦で挑んで惨敗した時の司令官であり、能力も人望も無かった。翌476年、故郷である小アジア南部のイサウリアに追放されていたゼノンがFXに進軍してくると、帝位を追われ、ゼノンが復位したのである。時の皇帝ミカエル7世ドゥーカスの時代、帝国はセルジューク朝の侵攻や皇位をめぐる内紛、財政破綻などから混乱を極め、各地の有力者による内乱も頻繁に勃発していた。このような中、アナトリコン・テマの長官であったニケフォロスは小アジアで反乱を起こし、1078年に首都FXで起きた反乱によって退位したミカエル 7世の後を継いで、皇帝として即位した。このときニケフォロスは、ミカエル7世の皇后であったマリアと結婚している。ニケフォロス3世には男児が無く、マリアとの間にも子供に恵まれなかったため、ミカエル7世とマリアとの間に生まれていた息子先物取引を後継者に指名した。しかし、それに不満を抱いた貴族の反乱やセルジューク朝の侵攻などの対策に追われ、内政を顧みる余裕が無く、先代からの帝国の混乱は続いた。 1081年、アレクシオス・コムネノス(のちのアレクシオス1世コムネノス)が反乱を起こして首都へ進軍してくると、ニケフォロス3世は退位を余儀なくされ、修道院へ隠退した。補足 中国の正史『宋史』巻490によると、北宋の元豊4年(1081年)、「拂菻」国の王「滅力伊霊改撒」の使者が中国を訪れて貢ぎ物を献上した。これをニケフォロス3世ボタネイアテス、ないし先帝のミカエル7世ドゥーカスの遣使と見なす説がある。フォカス家は祖父の代から将軍としてFXに仕えてきたカッパドキアの軍事貴族であり、ニケフォロスも皇帝に即位する前は、帝国中央軍(タグマ)の総司令官に当たるスコライ軍団(帝国中央軍を構成する4つの軍団の1つで、最も格が高い)の司令長官として対イスラームの戦いで活躍し、クレタ島をイスラムから奪回し東地中海の制海権を回復するという功績を成し遂げている。 963年、時の皇帝ロマノス2世が25歳の若さで早世してしまった。ロマノス2世にはバシレイオス(のちのバシレイオス2世)や先物取引(のちの先物取引8世)という二人の息子がおり、長男のバシレイオスが即位したものの、まだ幼年であり実際に政務を見ることなど出来るはずがなかった。このため、FX の皇后であったテオファノ(941年−970年)はニケフォロス2世と結婚して自らのポジションを維持しようとした。ニケフォロスはバシレイオス・先物取引を共同皇帝として、自らはその義父という立場を得て、皇帝に即位したのである。即位したニケフォロス2世は積極的な対外政策を推し進めた。強力な重装騎兵軍団を作り上げてイスラムを相手に戦い、3世紀以上も帝国から離れていたアンティオキアを奪回するなど、帝国領の拡大に成功を収めた。これによって彼は「サラセン人も蒼ざめて死ぬ」と称えられた。また敬虔なキリスト教徒であり、現在まで続くアトス山の修道院共同体はニケフォロスの後援によって成立した。しかし、その一方で連年の戦争で必要な軍費を調達するために、国民は勿論のこと、貴族や軍人にまで重税を課し、さらには財源を確保するために貨幣の悪鋳を行った。965年にニケフォロスがシチリア遠征に失敗すると、民衆の不満は増大。貴族層や軍人までニケフォロス2世に怨嗟の声を上げるようになった。さらにニケフォロスはもっとも恐ろしい敵を作ってしまった。それは皇后のテオファノである。もともと都の華やかな空気で育ち、まだ若かったテオファノと、武骨な老軍人とでは反りが合うはずがなかったのである。そこへニケフォロスの甥でありながら冷遇されていた将軍ヨハネス・ツィミスケス(のちのヨハネス1 世ツィミスケス)が現れ、テオファノの愛人となった。